こんにちは、山本です。
人に、100回くらい注意された気になる時ってありませんか。
たとえば、仕事でミスをしたとき。
指摘されたのは一度きりなのに、その言葉がずっと頭の中でグルグルと回り続けて、気づいたら仕事中も、帰宅してからも、頭から離れない。
――これまでの社会人生活の中で、一度は経験したこと、あるんじゃないでしょうか。
僕もよくあります。
特に新人の頃は、ミスを指摘されるたびに、「またやってしまった」「やっぱり自分はダメなんだ」って、一度の言葉を、まるで“判決文”みたいに心に刻んでしまっていました。
相手は軽く言ったつもりかもしれない。
むしろ、その場で謝って終わっていたはずの話なのに、僕の中では、何度も、何度も、繰り返されていた。
頭の中で、声色や表情を再生し直して、
「本当はこう思ってたんじゃないか」なんて、勝手に意味を重ねていく。
結局、僕を何度も傷つけていたのは、
相手の言葉じゃなくて、“自分の頭の中の再放送”だったんですよね。
――さて、ゴールデンウィークも、いよいよ終わりが見えてきましたね。
「現実に引き戻される〜」なんて、気分が落ちている人も多いんじゃないでしょうか。
そんなときこそ、ちょっと立ち止まって、自分の中にある“違和感”に耳を傾けてみるチャンスかもしれません。
なぜ自分でリピートをしてしまうのか?
これは、これまでの人生経験が起因していることが多いです。
僕の場合は――母親の存在が大きかった。
とにかく、口うるさい人でした。
「宿題やったの?」「明日の準備は?」
毎日毎日、そんな言葉を浴びるように聞かされて育ちました。
母の性格なのか、それとも子どもを思っての心配だったのか。
今となっては、どちらとも言えるんだと思いますし、気持ちがわかるようになりました。
でも当時の僕にとっては、
“また言われるかもしれない”という緊張感やイライラが、ずっと心の中に残り続けていたんです。
だからきっと、知らないうちに、一度言われただけの言葉を、何度も何度も、脳内で再生する”クセ”がついてしまったんだと思います。
大人になった今でも、
たった一言の注意が、頭の中で何度もループしてしまうことがあります。
冷静に考えれば、「そんなに言われてないじゃん」ってわかってるのに、気持ちのほうが先に、どんどん沈んでいく。
そして、いつの間にか自分の中で、ミスを指摘されるたびに、
「ダメなやつだと思われたに違いない」とか、
「もう信用されてないかも」
なんてストーリーにも派生していくわけです。
実際には、
“言われた”のは1回だけ。
でも、“責められている”感覚は、自分で99回くらい作ってたんですよね。
これまでの人生経験を棚卸ししてみては
じゃあ、どうすればこの“脳内再放送”から抜け出せるのか。
僕がまずオススメしたいのは、
これまでの人生経験を、一度ちゃんと棚卸ししてみること。
なぜ、求めてもいないのに何度も頭の中で再生されるのか。
その原因を探るには、少し自分の過去にタイムスリップする必要があります。
一番手っ取り早くて、効果的なのは――
信頼できるメンターやコンサルタントをつけて、対話しながら深めていくこと。
これはもう、ダントツでおすすめです。
正直、深掘りの仕方が分からないまま一人でやると、ほぼ確実に途中で心が折れます。
自分の内側と向き合う作業って、それくらい地味で、しんどいんですよね。向き合いたくない事に向き合わざるを得ないので。
とはいえ、いきなり知らない人に自分の過去を晒すのは怖いという方も多いと思います。
その場合は、当時の担任の先生や、ご両親と話してみるのもアリです。
「あのとき、自分ってどんなふうに見えてた?」と聞いてみるだけでも、
思いもよらない視点が返ってくることがあります。
じゃあ実際に僕はどうしたか
僕は、コンサルを受けました。
もう、7年くらいのお付き合いになります。
その中で、僕が徹底してやってきたのは――
ただ、”観察すること”。
別に自分の代名詞にしたい訳でも、ブランディングしたい訳でもなくて。
自己否定に走りそうになった時は、自分の中の
“モヤモヤ”を観察するか
“モヤモヤ”を敵とみなすか
の2択なんですね。これ以外の選択肢はありません。
余談ですが、
もし僕が後者を選んでいたら、きっと「違和感撲滅日記」とかいうタイトルを付けていました。笑
内容は、罵詈雑言だらけで、たぶん誰にも読まれなかったと思います。
『上司ガー!』『嫁ガー!』『あいつガー!』
と、息を吐くように負の感情を並べていたと思います。
もちろん、そもそもそんな発想すら浮かばない人もいます。
いわゆる、“メンタルが強い人たち”ですね。
そういう人たちは、いちいち気にせず、違和感もサッと素通りできるんです。
でも、ここで大切なのは――
「あの人に比べて、自分は…」と自己否定に走らないこと。
それよりも、自分の中で何が起きているのかをちゃんと見てあげることのほうが、よっぽど大事だと思っています。
だから僕は、これからも“観察”を続けていこうと思っています。
誰かと比べて落ち込むのでもなく、モヤモヤを無理に消そうとするのでもなく。
ただ、自分の中に起きている反応を、少し離れたところから眺めてみる。
それだけでも、たしかに人生は静かに変わっていきます。